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2022.03.06

〈コラム〉vol.2 大岩根尚 「Waht is abundance(豊かさとは)」

自然に想いを馳せるコラム「ROUTe eyes」。今回の書き手は、硫黄島(鹿児島県)で自然体験や環境をテーマに活動する大岩根さん。南極調査や島の暮しを通じての気づきとは。


vol.2「Waht is abundance?」

太陽が燦々と照りつける深夜12時過ぎ、僕は一人で氷原に立っていた。

足元では、雪の結晶の一粒一粒が光を反射して虹色に輝いている。無限の雪の結晶からなる雪原がどこまでも続き、遠くに見える岩山は氷河に削られ奇妙な形の塔のようにそそり立つ。音すらも凍りついてしまったかのような極寒と静寂の中で地球が自分だけに見せてくれているその光景に感じ入っていたその時、遠くの雪面が白く霞み、それが次第に近づいてくるのに気づいた。降った雪を巻き上げながら運んできた優しい地吹雪が過ぎるとき、雪の結晶がぶつかりあって割れる美しい音が耳元に響いた

南極のテントサイト。無限の雪の結晶からなる雪原が広がる。朝テントを開ける瞬間に見える景色がお気に入りだった

地質学の研究を通して、僕は地球に向き合ってきた。その過程では、地層や石が見える場所に足を運び、ひたすら観察する。長い時間を野外で過ごす調査の合間、ふと地球が見せてくれる美しい景色に出逢う度に、地球や生命に対する畏敬や感謝が、静かに、確実に僕の中に育っていった。そしていつの間にか、研究よりも地球が与えてくれる恩恵やその面白さを伝えることの方により気持ちが向いている自分を意識するようになっていた。

 

ジオパークという仕事

2013年、僕はついに研究者を辞め、鹿児島で仕事を始めた。ジオパークという仕事だ。人口100人ほどの離島である硫黄島に通い、自然そのものを楽しむ遊びを仕事にし始めた。温泉の海でのシーカヤック、火山から採れる硫黄を用いた線香花火づくり、海底から湧き出す火山ガスの泡のカーテンへのダイビング。ここでしかできない遊びを企画し、ツアー化した。この活動の中で僕は、硫黄島に、地球そのものに、ますます惹かれていった。

硫黄島、硫黄岳の麓にある噴気地帯。ここから硫黄を採取し線香花火を作った

火山ガスを吸い込んで咳がでる。温泉が目や傷口にしみる。断崖の上に立って足がすくむ。そんな誤魔化しようのない感覚が、危険を避け生き延びようとする「生命の意思」とでも言うべき自分の中の何かを、強烈に教えてくれる。そんな体験を参加者と共有することで、自分も生き甲斐や幸せを感じてきた。

しかし近年、自然の恩恵をただ感じる、というわけにもいかなくなってきている。毎年いくつもの記録的な豪雨があり、世界各地で土砂災害や森林火災が頻発している。既に常態化した異常気象に対し、研究者のグループは最近「気候変動が人間の影響によることは疑う余地がない」と結論づけた。

人間、というのは他でもない、私たち一人一人のことだ。必要以上に肉を食べたり、世界中から食べ物を集めては食べ残したり、電力や水を無自覚に浪費したり。実はそういう日常の選択の積み重ねがこの災害を招いている。自分が少しくらい何かを変えたところで…と思うかもしれないが、私たちが暮らす日本は世界5位の温室効果ガス排出大国。自分が少し行動を変えるだけで、低所得国の数人分に匹敵する温室効果ガス削減の効果がある

学生時代、調査に入っていた甑島(こしきじま)の断崖。この地層から島の成り立ちを読み解いた

 

豊かさとは

環境やSDGsについて伝える仕事柄、こういうことを調べながら環境負荷の低い暮らしを模索してみてもいるが、ぜひお勧めしたいことがある。それはしっかりと五感で自然を味わう時間をとることだ。川沿いや海沿いに散歩に出たり、夜明け前の新鮮な空気を味わってみたり、波の音、鳥や虫の声に耳を澄ませ、その感覚に浸ってみるのはどうだろう。

自然と向き合い、自分と向き合う時間を過ごすことができれば、不思議と心が静まってくる。今ここで既に満たされている自分に気づけるはずだ。持続すべきと皆が言う地球や自然そのものに触れ、季節や生き物の変化に気づけるようになると、より豊かに生きられる。環境のために何かを我慢しなくても、不要なものを手放すことができる。それは案外、楽な感覚かもしれない。

幸い、九州に住む僕たちの周りには絶好のフィールドがたくさんある。コロナ禍の今、人に会えなくなった代わりに、新たな景色や新たな自分に出会う旅に出てみるのはいかがだろうか。

 

書き手
大岩根 尚
hisashi oiwane

1982年宮崎生まれ。博士(環境学)。2010年東京大学大学院を修了後、国立極地研究所に勤務。鹿児島県三島村ジオパーク専門職員を経て2017年に合同会社むすひを起業。好きな本は星野道夫「旅をする木」。